ベトナム「日本語学校、送出し機関①」紹介

活気と絶え間ない往来の幹線道から舗装の行き届かない脇道に入り、土埃を10分ほど経てると、民家や家族経営なのだろうか土間で作業をしている縫製工場や金属を扱う工場などが多数存在する集落の外れに3階建ての目立つ建物が目に入った。
他の建物と比べると大きい物だったが、どことなく古びた歴史を感じるその建物は、一見、教会か何か大勢の人々が集う場所だろうなと推測した。

その場所に向かう道も舗装はなく土が剝き出しになっていて、少し前に降ったのであろうスコールによる水溜りがそこら中に点在していた。
車はその舗装なき道を進んでいき、建物の間近まで来た時、出入り口の扉が開き同じ白地に襟の部分が紺色のポロシャツを着た若い男女が5~6人談笑しながら出てきた。
ここが学校なんだ!と思ったが、私の想像したそれとはかけ離れていた。

中に入ると、乖離は更に加速し、扉を開けた先には事務所スペースになっていた。
そこで仕事をしていたスタッフの方も学生といくらも年齢は離れていと思われる若い方達で、違いはワイシャツとスラックス、女性はスカートを着用していた。
ここが、技能実習生の送出し機関の事務所であり日本語学校の職員スペースとなっていた。

奥のソファーに通された我々に現地スタッフの方より封の空いていない冷たいペットボトルの水が配られた。外気温は室内に備えられていた温度計の外気温は37℃を指しており、この水が美味しく感じられるのは想像に易い事だろう。
事務所内を応接スペースに向かう僅か数歩の中、並行してある通路を行き来する数名の学生達は私らを発見すると、その全てが立止り、こちらを向き、「こんにちは」と日本語で挨拶をした後、深くお辞儀をしてくれた。
昨今の日本では、このような挨拶をなかなか見かけないものだが、私もベトナム人学生に習い、かしこまった挨拶を返していた。

礼に始まり礼に終わる。忘れてはいなかったが、照れや、億劫さからお座なりになっていた、日本の良き習慣をベトナム人学生達から再度教えてもらう出来事となったと同時に学んだ事が実践に生かされている例とも考えられる。
その後、応接スペースでは現地スタッフの方より、学生の人数、平均年齢、男女の構成比等、沢山の事を教えてもらい、百聞は一見に如かず。の通り、我々は実際の授業現場に案内される事となって行く。

※次回は授業で私自身が講師を行った事や、技能実習候補生との会話内容等について書きます。