ベトナム「ホーチミン市」紹介

そこには鳴り響くオートバイのクラクションの音、立ち昇る砂埃。所狭しと行きかう大勢の若者達の目には活力が漲り、生きる事への執着とも感じられる底知れないエネルギーを感じた。
私はその時代を経験した事は無いが、戦後の動乱期から懸命に立直り、世界有数の経済大国へと発展を遂げた、我が国の高度成長期(昭和30~40年度)を想像させるような、またどこか懐かしさを覚える感覚に陥った。

ホーチミン市で感じた強烈なインパクト

約20年前よりベトナム社会主義共和国のホーチミン市内で自社の工場と外国人技能実習生の送り出し機関、日本国内で受入れ監理団体を運営されている知人の社長に連れられ、2017年3月に初めてホーチミンを訪問した私は、タンソンニャット空港からホーチミン市内の送り出し機関に併設している日本語や日本文化を学ぶことのできる学校へ向かう車中、強烈なインパクトを感じた事をはっきりと覚えている。

ベトナムの国民性

車中、日本語の話せる現地ドライバーさんとの会話の中、ベトナム国内の年齢比率は約60%が30歳以下で日本の平均年齢の45歳に比べて大幅に若いことが分かった。また、勤勉で真面目であり、多くの者が親日だという国民性を教えてもらった。親日と聞かされ、なぜと思った私は日本に帰った後、ベトナムの歴史について調べることになる。
空港から約20分で1区というホーチミン市内中心部を抜け、そこから更に30分ほど走った所に今回の目的地がある。

都市部から少し離れた畑

中心部を抜けるとすぐ、何かの作物を作っているのであろう畑の風景が広がる。その側ら、日除けのかぶり傘やTシャツなどを販売している露店。露店の軒先で長椅子にもたれて昼寝をしている現地人。
中心部との時代錯誤を感じさせる穏やかな時間が流れていた。しかし、これはベトナム国内の収入の格差に直結しているのだとも感じた。

※次回は学校での風景や、なぜ技能実習候補生になったか等について書きます。